平民から超大国秦の宰相まで上り詰め、キングダムでも大活躍の蔡沢に地位を譲って華麗に引退した『范雎』は、知略だけでなく処世術にも優れた賢人でした。
長らく小説「史記」や「十八史略」、横山光輝先生の漫画「史記」で『范雎』のエピソードを読んでいましたが、最近「蒼天航路」の作者である王欣太先生の「達人伝」で『范雎』のエピソードを読み大きな納得感がありました。
中国は歴史が長いし、国は広いしで名宰相が多すぎますね。ダメ宰相も多いですが。。。
軍師と宰相は近い部分がありますが、今回は宰相ということで晏嬰、管仲、孟嘗君、商鞅、蕭何、馮道、王安石、耶律楚材、王導などなど。歴史に名を残し、自国を強固にした宰相は多くいます。
大人気漫画「キングダム」では秦の天下統一の物語が描かれていますが、そもそも他国が連合して攻めてきてあり、他の全てに喧嘩を売るほど秦が圧倒的に強くなったのは商鞅と『范雎』の改革が大きいと思います。
どん底から這い上がり、自分をどん底に落とした相手にリベンジした『范雎』は最も好きな宰相です。
■人物
范雎(はんしょ、生年不詳~紀元前255年?)は、魏の生まれとされていますが詳細不明です。戦国時代に活躍した人物で史記でも紹介されている中国戦国時代の秦の宰相。官僚として身を立てたいと願い、諸国を巡り就職活動をはじめるも、なかなか職が見つからなかったらしい。加えて、非常に貧しかったために間もなく活動資金は底をつき、失意のまま魏に戻ることとなり初めは魏に仕えていましたが、他国の外交官との関わりから内通者として疑われて責めを受けて秦へ亡命し、秦の昭襄王に仕えて、遠交近攻の策を献じました。
この魏で須賈という人物に仕えることになったのですが嫉妬や疑念から散々な目にあわされてしまいます。
■魏での屈辱
范雎は須賈が魏王の命により斉へ赴く際に「私はこれから斉へ行くので一緒に来るように」と言われて供をすることになりました。
二人は斉に到着すると斉王・襄王との会見に臨みます。当初は傍で黙っていた范雎でしたが、襄王が質問を投げかけてくるので応対することになりました。襄王は范雎の応答に満足し、無事に任務を全うし宿舎へと戻りました。
そうしていると范雎のもとに、襄王の使者が大量の金と酒を携えてやって来て「王は、あなたの応対に感服し褒美をつかわされた」と伝えました。これを范雎は丁重に辞退します。しかし、これが後に范雎を窮地に陥れることになってしまうのです。
須賈は側近から「范雎が襄王からの贈り物を受け取ったらしい」と報告を受けます。自分の方が身分が高く、共に過ぎない范雎にだけ贈り物があったことに嫉妬と不信感を抱いた為、范雎が斉に内通した謝礼だと決めつけます。
須賈は帰国後すぐに上司である魏斉に「私の部下である范雎が、魏の秘密を斉にもらし多額の謝礼を受け取った」と根拠のない出鱈目な報告を上げました。これを聞いた魏斉は、当然ながら非常に怒って、范雎を呼び出します。
冤罪で何も知らない范雎は、魏斉のもとへ参じると、うむを言わさず暴行されました。范雎は状況も分からぬまま暴力を振るわれることに対して、反論しようするも続けざまに暴力を受け続けたのです。范雎は肋骨や歯を折る重傷を負い、このままでは殺されると思い死んだふりをしますが手加減されることなく、簀巻きにされたまま厠(便所)へ投げ込まれてしまいました。范雎は助けを求めますが、多くの者は排泄物をかけるなどして、更なる辱めを加え、誰も助ける者は現れませんでした。
しかし、偶然通りがかった厠の番人に必死に助けを求めたところ、哀れに思ったのか無事に救助され、九死に一生を得たのです。この時に、范雎を助けたのが鄭安平で、鄭安平は秦の王稽と范雎を引き合わせてくれたことで、范雎の運は拓けていくことになります。
■リベンジの始まり
・秦への亡命
死にかけの重症と屈辱の中で逃亡し、秦に亡命した范雎は王稽と会います。王稽は秦の昭王と范雎を引き合わせるべく面会の機会を設けてくれました。范雎は昭王に気に入られ、無事に秦で再就職を果たします。そして宰相まで出世することになるのです。
范雎はまず王権の強化をはかります。王族で宰相だった魏冄や親族の権力が大きすぎて国としてのまとまりに欠けていたからです。このことを指摘された昭王は范雎と共に魏冄や親族を遠ざけていきます。
・白起への警戒
秦の名将「白起」は次々と勝利をもたらした中国史上有数の名将です。趙との戦争で趙括の体たらくもあり亡ぼす寸前までいきます。しかし、趙から講和のために送られてきた使者が、言葉巧みに范雎を揺さぶります。「このまま白起が功績を立てすぎると范雎のポジションを脅かしますよ」と唆したことで、范雎は昭王に趙とは戦わずに講和を結ぶことを進言したのです。白起にとっては、趙を滅亡させる好機と捉えていただけに非常に悔しい思いをしたようで、昭王と白起の関係は破綻してしまいます。その後の白起は出陣命令を無視したこともあり流罪にされてしまいます。
この白起は大人気漫画「キングダム」でも伝説の六代将軍として描かれており、40万人生き埋めのエピソードが有名です。
そのため古代中国の趙に位置する地域に住む一部の人たちは、白起を白い豆腐に見立ててぐちゃぐちゃに調理したり、厚揚げのように網の上で火あぶりにして食べることで昔の恨みを返し続けるという風習が残っています。本当にいろんな意味で凄まじいなと思いますね。
・遠交近攻の策
范雎の政策として有名なものが「遠交近攻策」です。今までの秦は遠くの斉などの国を攻めていましたが、遠くの国とは同盟を結び、近くの魏や韓を攻めるという政策です。同盟を結んだ斉には、攻める国の後方から目を光らせてもらいたい狙いもありました。進言を受け入れた昭襄王は、魏を攻めて領土を奪い、韓に対して圧をかけます。この政策が功を奏して、秦は領土を大きく拡大することができたため、満足した昭襄王は、范雎を信用し重用することになっていったのです。
この策を用いる前の秦は韓や魏を引き連れて斉を攻めていました。しかし勝利しても斉は秦と離れているため旨みがありません。范雎の策である遠交近攻は真逆でお隣の韓や魏を遠くの斉と連携しながら攻めるので、勝利すればそのまま領土が増えたのです。
・リベンジ
秦の宰相となった范雎は、功績により新たに領地を賜るなど飛ぶ鳥を落とす勢いで出世を遂げます。そんな中で秦の実力者となった范雎のもとを訪れた魏の使者こそが、范雎が死にかけるほど痛めつけられた原因を作ったあの須賈でした。そこで范雎は一計を案じます。須賈が秦を訪れると、みすぼらしい身なりの范雎に遭遇し、須賈としてはそもそも死んだと思っていた范雎が生きていることに驚き「まだ生きていたのか」と軽く声をかけたと言います。それに対して、范雎は「どうにかこの通り、生きております」と応じました。范雎の見るに堪えぬ姿に同情した須賈は、厚手の服を范雎に与えました。しかし、話はここでは終わりません。続けて須賈は范雎に「ところで、秦の宰相、張禄(秦での范雎の名称)殿とお目にかかりたいのだが」と依頼します。これには、(実際には范雎なので)范雎は俯いて笑いをこらえながら「よく、存じております。私がご案内いたしましょう」と自宅へと案内するのでした。そして家に招き入れ、応接間に通し「張禄様をお呼びしますので、しばらくお待ち下さい」と告げて下がります。移動した范雎は、正装に着替えて再び須賈の前にあらわれ、須賈は范雎が秦の張禄であることに気づいて驚き、彼の前にひれ伏すのでした。それを見下ろす范雎は「お前には三つの罪がある。一つは魏斉にありもしない嘘の情報を告げ口したこと。次は鞭で打たれている私を助けなかったこと。三つ目は、厠で私が辱めを受けていることを知っていたにも関わらず、助けなかったこと。以上三つがお前の罪だ。しかし、先ほど私に恩情かけて、厚手の服を渡してくれたことに免じて、死刑にだけはしないでやろう」と申し渡したと言います。
その後、須賈を歓迎する宴席を設けるも、当然ながら相当根に持っている范雎が須賈をただで帰す訳がありません。宴席で范雎は須賈に対して「魏斉の首を差し出せ」と冷たく告げます。両国の国力差や身分差から逆らえる立場ではない須賈は「承知いたしました」と承服し、逃げるように退席して魏へと帰国しました。魏へ戻った須賈は、魏斉にこのことを報告します。魏斉は死んだものと思っていた范雎が生きていただけではなく、国の要職について権力を持っていることを知り、復讐を恐れて怯えました。命の危機を感じた魏斉は、翌日早々に魏を脱走し趙へと亡命します。しかし、范雎は執念深く追跡し、趙の孝成王に圧力をかけて、魏斉を引き渡すよう交渉しました。魏斉は趙にまで圧力をかけてくる范雎の執念にますますに恐れ、魏の名将信陵君へ助けを依頼しますが、拒否されたことで絶望した末に自害してしまいます。こうして魏斉の首は范雎の元へと送られ、范雎は積年の恨みを果たしたのでした。なお信陵君は趙に攻め入った王齕率いる秦軍を連合軍を指揮して撃破しています。秦はこの敗戦で再び白起に趙を攻めるように言いますが、白起が拒否したため自害に追い込まれました。
・恩返し
范雎は宰相の位に就くと、助けてくれた鄭安平を秦に招き将軍に推薦しています。また昭襄王へ推挙してくれた王嵇に対しても領地を与えることで報いています。苛烈なリベンジをする一方で、苦境の折に助けてくれた恩人にはしっかりと報いています。ちなみにこの両名は後年、横領などの罪を犯して推薦者の范雎にも累が及ぶはめになりましたが、昭王の沖入りの范雎は咎めを受けませんでした。
・蔡沢の採用
遊説家の蔡沢は、范雎に対して歴史上の人物をあげて「自らの手腕で国を隆盛させた時に仕えている王が健在の間は重用にされるが、代替わりすれば今干されている人々の不満が出て悲劇的な末路をたどるのが世の習いである」と長く権力の座にあることの危うさを説き引退することを勧めました。その言葉に思うところがあったのか范雎は引退を決意して、後任には蔡沢を推挙したと伝わっています。秦の宰相格で有名な人は商鞅、張儀、魏冄、范雎、蔡沢、呂不韋、李斯ですね。ちなみにコーエー三国志の「いにしえ武将」で登場させると秦のメンバーはだいたい悪役風のキャラデザインです。。。能力はめちゃくちゃ高いけど。
・晩年
血で血を洗うような時代を范雎でしたが最期まで権力にしがみつかずに引退したことが功を奏したのか、暗殺や虐殺されることなく往生したと伝えられています。一方では、出土した『編年記』の昭王52年(紀元前255年)の記述によれば「王稽・張禄(范雎)死す」との記載があることから、先に記述した王稽に連座して処刑されたとの説もあります。
■おわりに
小説「史記」及び横山光輝先生の漫画「史記」にて最も繰り返し読んだのが、『范雎』のリベンジの回です。
記事の冒頭で王欣太先生の「達人伝」を読んで納得感があったと記載しました。どういう事かと言うと須賈のくだらない密告と魏斉の横暴でひどい暴行を受けたにも関わらず殆どの漫画での「范雎」は綺麗過ぎたのです。唯一「達人伝」の「范雎」は顔面に傷が複数あり、歯もボロボロでした。今のように医療技術がない古代中国で凄惨な暴行を受けたら、そうなるよねと納得したのです。このことで秦の宰相になった「范雎」とその原因を作った須賈の再会時のエピソードに対する感情移入が強まりました。
今も昔も努力家や有能な人物の足を引っ張るのは、やる気がなく、真っ当な努力をするよりも他者を蹴落とすことに尽力する邪な人間ですね。『范雎』は、そのような逆境に負けることなく這い上がり、見事にリベンジを果たしています。リベンジについては賛否があると思いますが個人的にはお気に入りのエピソードです。