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35年振りに会った最高の先生『良い先生に出会うのは、いかに難しい事か』と改めて思った

2024年の初め頃に35年ぶりに小学3、4年の時の先生に会いました。


その先生が担任だった小学3年~6年(私は3、4年のみ)のメンバーが集まったのです。

あれから35年、もう40代です。
40代と言えば公私ともに忙しく、仕事では管理職として責任がある立場になっていることが多いと思います。


そんな中で、遠い県外から5人、州内の県外から10人も集合し、総勢40人ほどの同窓会が開かれました。

しかも大学でも高校でもなく小学校3、4年生がメインの同窓会がです。

 

当時のまま背だけ大きくなったような子、服装や髪型以外は全く変わっていない子、太陽拳を修得した子、超綺麗になった子。
さまざまでしたが、全員すぐに分かりました。

 

同窓会の目的は小学校時代にお世話になりまくった先生が校長まで上り詰め、定年を迎えたことに対するお祝い&慰労です。

 

これってとんでもないことだと思います。
いかにその先生が素晴らしいか、いかのその時のクラスメイトが素晴らしいか。
細かいエピソードを全ては書きませんが、リアルGTOやリアル金八先生みたいなことがいくつかありました。

 

35年で多くの良い経験、悪い経験を積み、社会的には地位が多少上がったので、クライアントやお客様以外に全力のお辞儀をすることが減った昨今でしたが、会場に入り先生を前にしたら自然と90度のお辞儀になりました。

 

私以外の皆も同じようにしていたと思います。(一人を除いて・・・)

 

周囲の影響を受けやすい小学、中学校の先生って本当に大事だと思います。
先生側も色々な変化で昔の何倍も苦労があると思いますが、良い先生に出会えるかでその後の人生は大きく変わると思います。

 

本記事では時系列で印象に残っている先生の話、同窓会の話、思うことについて書きたいと思います。


なお先生方に迷惑をかけないように少しのフェイクを入れて書きますが、誇張は一切しません。

 

■幼稚園の年長クラス時の先生
たいしたことはないですが、幼稚園の先生が初恋の相手でした。
私はワンパクだったので余り好かれている印象はなかったです・・・。
10年以上後に、とある駅のホームで先生を見つけました。なぜかすぐ分かりました。私が17、8歳くらいで先生は30歳くらいか。

 

特に何をしたいとかではありませんでしたが、「その節は・・・、私は〇〇です。お世話になりました」的な挨拶だけしたく、近づいて行ったのですが、ガラの悪い高校生になっていた私を見て一目散に逃げていきました・・・。

 

先生、いやまぁ正しいし気持ちは分かるけど、寂しい・・・。

 

 

■小学3、4年の先生
冒頭に記載している先生です。
この先生を超える先生は後にも先にもいませんでした。超える云々というか、圧倒的に最高の先生でした。


しかも3年で担任になった時は新人1年目だったとのこと。これは最近知りました。

 

・最初の自己紹介でムーンウォークとめちゃくちゃ上手いアニメの絵を披露し私たちの心を鷲掴み
・クラスのビジョンミッションを掲げて黒板の上に児童自身に作らせたスローガンボードを掲示
・珍しい野菜をクラス全員の手で育てさせて収穫時はパーティ
・雪が積もった日は授業を休んでみんなで遊ぶことを許可
・絶対にやってはいけないことをやった場合は本気で怒ってゲンコツ
・虐待の可能性がある場合など親に問題がある場合は児童の取り合いで親とガチ喧嘩
不登校の児童の家に毎朝迎えに行き、登校する気になったら毎日一緒に登校

 

1年半しか先生のクラスに居ませんでしたが、まだまだエピソードはあります。

 

特に心に刻まれているエピソードは次の2つです。
①椅子を引くというイタズラをした児童に激昂し、その後はクラスメイト全員になぜダメかを熱く語った先生
ちょっと前にバスケットボールで将来有望だった子が全国大会を控えていた時期にクラスメイトの椅子を引くというイタズラで下半身マヒとなり、選手生命が断たれ、車いすバスケに挑戦するとネット記事がありました。


35年前のある日、クラスメイトの男子が女子の椅子を引いて驚かそうとしました。小学生なのでやりがちですね。


それを見つけた先生はダッシュで近づいてきて椅子を戻し、イタズラした児童を引っぱたいた後に、なぜダメなのか?を力説しました。
「友人が同じイタズラに合って、下半身マヒになった。絶対やるな!殺人と同じくらいやってはダメな事!」と。


その際の印象が強く残っていた私は、その後の人生で同じイタズラに遭遇したら必ずフォローして、イタズラしようとした人にこの話をしています。


②泣く泣く転校した私に私だけのアルバムを作成して届けてくれた先生
親の都合で2学期の終わりに転校することになった私。

幼稚園から一緒だった友達、仲の良いクラスメイト、表面上は喧嘩ばかりだったけど実は好きだった女の子と離れ離れになるので悲しくて泣いたけど小学生の自分には何もできず・・・。


クラスの中ではワンパクで目立った方だった私は学校では強がっていましたが、家では毎日悲しい思いをしていた記憶があります。


そしてお別れ会を開いてもらい、終業式、冬休みとなりました。冬休みは恒例の祖父と祖母の家に。次に家に帰るときは新しい家です。そして新学期が始まったら新しい学校でした。


母の実家で冬休みを満喫していた私、引っ越しなどの作業で遅れてきた母が、黄色い手製のアルバムを持ってきました。

 

冬休みの2日目に先生が家に来て渡してくれた。あなたに会えなくて残念がっていたと言われました。引っ越し作業を親がするために、その時の冬休みは1日目に祖父の家に行ったのです。

先生が母に手渡したのは、「私に内緒で私の隠し撮り、最後のお別れ会の様子、クラスメイト全員の私への手紙、それから先生の言葉が1冊にまとめられた私だけのアルバムでした」

冬休み中は母や妹に隠れて何度も見返して泣いた記憶があります。


このアルバムは引っ越す度に今でも持っていくリストに入っている大事なものです。

 

管理職として人に教える事が多くなった私は、新入社員の前で挨拶をする際や育成関連の話をする時に、この先生のエピソードを必ず話します。40代となった私が当時20代中頃だった先生をお手本として未だに話すんです。


まぁ25歳くらいの時の先生に今の私が会っても90度でお辞儀して教えを乞うと思いますけど。


その後、校長先生まで上り詰めた先生、時代の変化で考えられないくらいの苦労や葛藤があったろうなと思います。
熱い先生でしたが、時代の流れで多くの納得いかないことがあり妥協もしたと思います。


しかし、35年ぶりに会った先生は白髪が増えた事と服装が年相応になった事以外は変わっていませんでした。

 

 

■小学4年の先生
4年生の2学期の終わりに泣く泣く転校したため、4年時の先生は前述の先生とこの時の先生で2人となります。


この時の先生は都会から来たことで浮き、軽くイジメに合っていた私を放置するわ、都会からきた児童に舐められないようにと授業の難易度を馬鹿みたいに上げたり、宿題の量を激増させたり、それにより何の罪もない私がクラスで更に浮いたりと酷かったです。


児童に対する怒りの感情が顔に思い切り出るタイプで、いつも機嫌が悪そうでした。

 


■小学5、6年の先生
4年の3学期から新しい学校に行き最初は軽いイジメなどに合ったものの、得意のドッジボールなどで徐々にクラスの目立った方になっていった私。


5年生の担任はそんな私を気に入ったようでした。しかも男として・・・。
これは誰にも言っていないのですが、5、6年の時の担任の先生は私のことが好きだったようです。

 

私がクラスメイトといる時にも発覚すれば問題になりそうな発言がチラホラ。
例えば、道徳の授業で出産の話が出た後に、私に「先生が直接教えようか?」とか、修学旅行の部屋割りで「あなたは私と一緒でもいいのよ」とか。

 

たいした成績でもないのに全て最高評価の通信簿を見た母親が「〇〇先生はよっぽどあなたの事が好きなんだね」と言われ、恥ずかしさや強りがで「そんなわけない!!」と言った私でしたが、6年生の3学期に決定的なことが。

 

卒業を控えたある日、担任の先生と仲のよい保健室の先生に呼び出され、「○○先生のことをどう思う?、○○先生は○○くんが好きなんだって」と言われました。


そこで私は驚きやら、恥ずかしさで「○○先生なんて好きじゃないよ!何とも思ってないよ!」と言いました。


それを聴いた保健室の先生は悲しい顔をして、それを伝え聴いただろう担任の先生は卒業式まで暗かった記憶があります。

 

当時の私は10歳くらい、先生は30歳くらい。改めて考えると本当にとんでもないな・・・と。これ実話です。

 


■中学1年~3年の先生
中学校は3年間同じ先生が担任でした。
武道をされており、男とは?人生とは?みたいなことを語る先生でしたが、全く自分はそれに沿ってないという。


なぜそう思うかの詳細はエグイので記載を避けますが、その先生との出来事で強く印象に残っていることを2つ。

 

1つ目は学校行事でキャンプにいった時のことです。

2年生の時だったと思います。
毎年、夜にテントを抜けて女子のテントに潜り込む男子や外で落ち合って男女で騒ぐ生徒がいるとのことで、その事について今年は絶対にないように言う先生。

私たちの代は真面目な生徒ばかりとは言いませんが、上と比較すると圧倒的に普通でした。私のクラスには1人も喫煙者がいませんでしたし、部活や勉強、ゲームや漫画と普通の中学生が夢中になることに必死な生徒ばかりでした。


その中で私のテントのメンバーにだけ特に厳しい先生。何かにつけて目の敵にしてきます。そして早めの消灯となり、私たちは信じてもらえないことに対する文句を言っていました。


そうすると外から「お前たちの気持ちはよーく分かった、内申点は覚悟しておけ」という言葉が。


先生は私たちが信用できずにテント脇に椅子を持ってきて、ずっと真横で監視していたのです。そこに先ほどの台詞です。


私は内申に興味がなかったので「どうでもいいよ!ふざけやがって!」と怒りましたが、中には推薦や高校受験に影響するとビビる生徒もいました。


事件、事故が起きてからでは遅いので、この時の先生の行動を全く理解しないとは言いませんが、余りにも信用されておらずショックを受けた出来事でした。


2つ目は私を濡れ衣で殴ったというエピソードです。
ある日、私ともう一人の生徒が職員室に呼び出されました。3年生の時だったと思います。何事かと思うと、鬼のような形相で「昨日の夕方(日曜日)、小学校の体育館に忍び込んでボールを天井にぶつけて壊した馬鹿が2人いる。お前らだろう!?」と。


私ともう1人は否定しますが、正直に吐け!の一点張り。

 

しばらく膠着状態となった後に「おう!認めないんだな?分かった!ちょっと待っとけ!」と言い、どこかへ。


ドタドタ戻って来て「やっぱりお前らじゃねぇか!」と言いながら私ともう1人は1発ずつ顔を殴られました。

 

私は流石にキレて「オレじゃねぇって言ってんだろ!絶対に違うから言うまでもないと思っていたけど、オレは昨日○○の家に朝から夜までいて、○○の家で夕食もご馳走になった。疑うなら○○と○○の親に聴けよ!」


それを聴いた先生は「そんなウソまでつくのか?おう!確認してやろう」と言い○○の家に電話。

 

○○の親は私が置かれている状況を全く知らない上で「○○くんなら朝から遊びにきて夕食を食べたあとに○時頃に車で送りましたよ」と。

 

それを聴いた先生は顔を真っ赤にして「このままではオレの気がすまんから、オレを殴れーーー!!」と逆ギレ。


私は疲れるやらショックやらで「いいよ、もうメンドクセー」と言い教室へ戻りました。

 

ちなみに呼び出されたもう1人はバッチリ犯人でした・・・。なぜお前は怒られている時に納得いかない顔してたん?と思います。

 

またこの中学校には体育の先生で気に入らないことがあると生徒を締め落とすというとんでもない先生がおり、私も授業中に揉めて少なくとも10発は殴られたことがります。
その先生は10年ほど後に同学区の中学校で校長になっていました。


それを知った私はネットで名前を検索したところ、嘘みたいに人が変わった笑顔で生徒に囲まれている写真がありました。


心を入れ替えたのか、上手い事やったのか。

今なら大問題ですけどね・・・。

 


■中学1年の英語の先生
私たちの代は英語が中学1年から必修でした。
そしてその英語の先生がピッカピカの一年目の先生でした。


先生のせいにすべきではないし、皆がみんなそうではないので私自身の責任とは理解しながら言うと、この時のイメージでずっと英語が苦手です。

 

私たちのクラスはこの先生、隣のクラスは歴10年くらいの先生。英語のテストの差は歴然でした。以来私は大学卒業まで英語は常にギリギリだったり、補講でした。

 

先生の口癖は、
・私は1年目でうまく教えらえれないから自分たちで努力して!
・本当は先生になりたかったわけじゃないの!
というネガティブなもの。

 

授業は教科書をひたすら読むだけ。
賢い生徒、教育熱心な親を持つ生徒は1学期早々に英語の塾に通わせるなどしていました。

 

そうして基礎の基礎の1年の時に全く授業が身に入らなかった私はずっと英語が苦手です。

 

ちなみに先生は私達が2年生の初め頃に結婚して辞めました。

 

 

■高校1年の先生
出来事は高校1年の時ではなく、高校2年の3学期の終わりです。


この時、私は高校を自主退学しました。
その手続きで職員室に行った際に、私が辞めることを聴きつけた1年の時の担任の先生が私を呼び止めたのです。


「○○くん、辞めるな。辞める必要はない。何かあるなら先生が相談に乗る。高校は出とけ」と。

 

神経質でギャグが面白くなく、1年の時はクラスメイトの殆どに嫌われていた先生です。(私は好きでも嫌いでもなかった)


恐らくは、ずっと勉強が出来て頭が良い先生なのですが、友達が少なく、モテて来なかっただろうなぁという印象の先生です。(先生、違ってたらすみません)


でもここぞ言う時に真剣に向き合い、自主退学を決意して怖いもの知らず状態の私に厳しく優しく諭してくれました。


担任の先生や他の先生が「辞めたいやつは辞めろ。このダメ人間が!」という雰囲気の中で、この先生だけが必死に引き止めてくれたのです。

 

結局私は辞めましたが、この時引き止めて頂いたことは強く印象に残っており、今でも時折思い出します。


もし先生に会えたら、あの時のお礼と高校は辞めたけど色々あって頑張れていることを伝えたいと思っています。

 

 

■高校2年の先生
人間的に尊敬できないという意味では、この時の先生が圧倒的です。酷かった。
そう思っている理由を2つ。

 

1つ目は差別発言です。
この先生は地理の先生でしたが、授業で米国旅行のエピソードを話し始めました。
そしてレストランで黒人さんが持ってきた料理が食べられなかったと言ったのです。
黒い手で持ってきた料理は汚く見えて食べられなかったと。


授業を受けていた私たちはドン引きです。

ネットはあまり普及していませんでしたが、マイケルジョーダンやマイケルジャクソンなど黒人さんのスーパースターが大活躍し、世界的に人種差別反対が叫ばれ、私たち日本人も差別を受けることがある中での発言。
教師としても人としても終わっていると思いました。

 

2つ目は私たちクラスの全員に言い放った言葉です。
ホームルームか授業中かは忘れましたが、何かの会話の中で先生の住んでいる場所の話題になりました。


先生はもちろん生徒全員の住所を知っており、どういう会話の流れだったか覚えていませんが、誰かが先生の住んでいる場所を聴いたのです。


すると先生は「教えるわけないでしょ。私は君たち生徒を一切信用していないんだから。トラブルはごめんだよ」と言ったのです。


個人情報保護法が施行される数年前に何たる意識の高さか!素晴らしいね!!
ではなく、言い方あるでしょ?と。


例えば「嫌だよ、教えないよ。だって君たちピンポンダッシュをしに来るでしょ?」とか「○○タワーの最上階だよ」とか言えばいいのに。

 

こんな風に言われたので「シーーーーーンッ」としてしまいました。

 

そして心の底からこの人を先生と呼びたくないと思いました。

 

遅刻早退欠勤もなく成績は中くらい、停学経験も1度もなかった私が学校を辞めると言ったときは「ふーん、了解」とだけ言って手続きだけ。1ミリも1秒も引き止めはありませんでした。

 

 

■大学1年の時の英語の講師
高校2年の終わりに自主退学をした私ですが、別の高校に編入して同い年と同じタイミングで大学生となりました。

 

大学1年の時の英語講師は異色の経歴で、本業は超難関国家資格である経理系の仕事という方でした。


しかし先輩曰く、あの講師は厳しくて有名。1年の英語は諦めて2年でとった方がいいよとのことでした。たしかに厳しかったですね。


そして英語の授業なのに裁判所に行ってレポートを出すという課題が出されました。しかもオール日本語で。英語は?と。

 

私も裁判所に行ったのですが、適当に入った裁判の部屋がまぁまぁエキサイティングな裁判で、被告の後輩や知り合いと思われる怖い方たちが大勢いる中でひたすら下を向いてメモをとっていました・・・。怖かった。

 

そんな思いをしてレポートを出し、真面目に授業を受けていましたが、単位はしっかり落としました・・・。

 


■大学3の時の英語の講師
私はとある理由で3年と4年の授業は殆ど出席していません。試験だけは参加していました。


出席率を重要視するかどうかは講師次第で、この講師は重要視派でした。


とはいえ大学の講堂は広く、担任でもないので顔と名前は一致しないため友達に頼んで替え玉出席をしてもらっていたのです。

 

ところがある日、友達から電話がかかってきます。
「ごめん、○○くん。今日の授業で替え玉がバレて先生が怒ってる」

 

マジかよ!!?と思った私は通常2時間の道のりを1時間弱で大学に行き、アポなしで講師の元に。

 

講師の部屋を事務室で聴いてダッシュで向かいノックをします。

 

コンコンとノックをし「本日、替え玉の件でとにかくお詫びをと思い来ました。お時間を頂けないでしょうか」
講師は「どうぞ、入りなさい」と。

 

この講師は30代くらいの女性で、いわゆる出来る美人講師というような方でした。

 

部屋に入り起立の姿勢でお詫びをする私。なぜ替え玉をしていたのかを理由を話して許しをこいました。

 

すると「私が替え玉を見つけて1時間もかからず来て、即私の所に来るあたり賢い子なんだね。今回は許します。でも替え玉は二度としないように。他の授業は知りません。私の授業では許さないから」と言われギリギリ許されました。

 

間違いやミスを犯したら、まずは迷惑をかけた相手にソッコーで全力のお詫び。


この経験はその後も役立っていると思います。

 

 

■同窓会
タイトルや冒頭に記載の小学3、4年の時の先生とクラスメイトとの同窓会です。


数名は高校時代や大人になってからも会っていましたが、殆どの人はお別れ会の日以来35年ぶりです。

 

皆、同窓会の会場に着くなり先生にご挨拶。頭を下げて近況を軽く話す。そうして久しぶりのクラスメイトとの再会を喜ぶという幸せな時間でした。

 

一緒に馬鹿ばっかりやっていた子が社長だったり、院長だったり、子だくさんのパワフルママだったり。
大人しい印象しかなかった子がバリバリの営業になっていたり、ふざけてばかりの子が国の真面目な調査機関に勤めていたり。


みんなそれぞれ色々なことを経験して大人になったんだなぁと思います。

 

そして忙しい中、先生や皆が皆のために集まったという状況に感動していました。

 

終盤では参加者の数名が作った先生へのメッセージビデオを上映し、プレゼントと共にDVDに焼いたディスクを手渡しました。
その日は3次会まで先生も一緒におり、解散したのは5時過ぎでした。

 

素晴らしい思い出をくれた先生とクラスメイトに感謝ですね。

 

 

■同窓会にて1人だけ・・・
感動の同窓会で1つだけ思うところがありました。1人だけ残念な子がいたのです。

 

その子は2年生の時にクラスが一緒だった子です。


とある事情からクラスに馴染めず、不登校気味だったので先生がクラスの中でも元気で目立った方だった私に一緒に遊んであげてと言ってきたのです。

 

言われた私が当時どういう心境だったかは覚えていませんが、それ以降はクラス替えまでずっと一緒だった記憶があります。そして不登校ではなくなり、クラスでも目立った子になっていきました。

 

クラス替えで疎遠になったため、その子と会う&話すのは同窓会が36~37年ぶりでした。

 

そんな彼が私に近づいてきて続けざまに言いました。
・大学どこ行った?
・今どれくらい稼いでる?
36年ぶりにあって「おう!久しぶり!」のあとにコレです。


私は上記のようなことを答えるのに全く抵抗がないので普通に回答しましたが、一般的には嫌われるよね?と。

 

しかも、
・そんな大学よく行ったね
・その大学でよく就職できたね
と言われました。私は苦笑いしながら「そうだね、まぁそれなりに頑張ってるよ~」と言って自然に距離をとり、他のクラスメイトのところに。遠目にみるとやはり浮いていました。

 

そして2次会への移動です。
人数が多かったため5台ほどに別れて移動しました。


私はその子を避けていたのですが、皆も避けていたのか譲り合いの末に私が同乗者に・・・。

 

車内には運転手さん、その子、私、クラスメイトの女性が2人の5人です。
移動中も昔話や近況で盛り上がる中で、その子は女性にモテたかったのか、とにかく周囲にマウントしたかったのか攻め始めます。

 

隣に座っていた私の肩に触れながら「コイツは喧嘩仲間!2人で悪い事ばっかしてた!結構オレが助けてたけどね」

 

ハッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!?????
お前と喧嘩したことないし、助けてたのはオレだし、助けられたことなんて絶対ないし、小学1、2年で悪い事ばっかって・・・。

 

なんなーーーんコイツぅーーー!!!が止まりませんでしたが、先生や他のクラスメイトの事を考えるとここで怒って空気を悪くするわけにはイカンと思い「あー、うん?そうだっけ?まぁそうかもねーーー、懐かしいねーーー」と言いました。

 

すると調子に乗ったソイツは私の頭を軽くポンポンして「コイツが泣いた時は慰めるの大変だったよ」と言いやがりました。

 

記憶になーーーい!!!というかお前が泣いて、家まで迎えに行ったことは何度かあるけどねっ!!!と心の中で叫びました。


てゆうかキサマに「お前とかコイツ」とか言われたこともなかったけどね!!!

 

35年ぶりに会ってコレかよ!!なんだコイツマジで!!が止まりませんでした。


2次会の会場に着いたあとも人の服装や持ち物の金額を言ったり、「それ去年の流行だよね?古いよ」などの批判をしたり、女子の体にベタベタ触れたりと大暴れ。

 

小学2年生の精神年齢のまま嫌な大人になったなぁと思いました。

 

しかも3次会までずっと居るという・・・。

きっと本当に信頼できる友達はおらず、どこにいっても距離をとられているんだろうなぁと思いました。

 

感動の再会のオンパレードの中で、これだけはションボリというかショックというか残念でしたね・・・。

 

 

■おわりに
良い先生、尊敬できる先生に出会えた人ってどれくらいいるんだろう。私は運よく出会えました。


出会うタイミングも大事ですね。贅沢を言えば小中高で1人ずつ出会えれたら最高。
小学3、4年の時に先生に救われた児童は私が知る範囲でも多くいました。
もし違う先生だったら不登校のままだったりという児童も大勢。

 

児童の親と口喧嘩したり、ゲンコツくらった児童も全く恨んでないし、児童からも親からも頼りにされて慕われているのは凄すぎるなと。

 

先生は選べませんが学校は選べるので、小学校から学校選びって本当に大事だなと思います。

 

最近でもないですが、周囲に聴くと良い学校に行かせるためには学区を変更せなばならず、小学校に合わせて引っ越す親が多いみたいですね。子供が減り、収入格差が広がり、学歴の重要度が上がっているからなのか。これも時代ですかね。

 

私も小学1年のタイミングで学区を変えるために引っ越しているのですが、それは幼稚園で仲が良かった友達と同じ小学校に行きたいからという理由でした。


本記事は最高の先生とクラスメイトに再会したことをキッカケに、私が学生時代に出会った先生を振り返らせて頂きました。