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【閲覧注意】過去10年間で2回の手術と3回の入院をしました

病院が苦手、注射が苦手な私が過去10年間は病院のお世話になる事が多くありました。


2回の手術と3回の入院の他にも入院きっかけで健康に気を遣うようになりお医者さんのすすめるまま各種精密検査や内視鏡検査で度々病院を訪れていたのです。

 

そんな手術と入院にまつまわる話です。

 

病院が苦手、痛い話が苦手という方は閲覧注意でございます。

 

 

 

■1回目の手術と入院

1回目は30代前半の時でした。

元々お腹を壊しやすい私は続く腹痛をいつものヤツと決めつけて我慢していたのです。

しかし会社で猛烈な痛みに襲われ全身から汗がドッと吹き出すのを感じた直後に目の前が真っ暗になりデスクに倒れ込みました。恐らく数秒は意識を失っていたと思います。

その後に痛みは引いたのですが余りにも激痛だったことと脂汗や数秒気絶したことで流石に不安になり会社近くの外科にいきました。

 

すると「ここでは無理なので紹介状を書きました。大学病院に行ってください。いますぐ」と言われてしまいました。お医者さんに言われるこの台詞ほど不安が募るものはないです・・・。

 

一度会社に戻りチームメンバーに事情を説明して上司にも了解を頂き大学病院へ。

 

診察で私は開口一番「ただの腹痛だと思うので痛み止めとかください」と軽いノリで言いました。

 

しかし次から次に色々な検査を受けさせられます。

 

「なんだろう?」と思っていたら再び診察へ。

 

お医者さんから「○○さん、お腹の中が大変なことになっているよ。腹膜炎で破裂しちゃっててグチャグチャ」と言われました。

 

私が「え?ホントですか?だから痛かったんですね。分かりました。痛み止めください」と言うと「いやいや、何言ってんの?帰れないよ。これから手術します。じゃないと死ぬよ?」と言われてしまいました。

 

大学病院は会社よりも自宅に近かったので携帯の充電器だけ取りに帰らせて欲しいと伝え一旦自宅へ。

 

お医者さんからは「逃げないでね」と釘をさされました。

 

そして戻って30分くらいで手術・・・。

目を覚ますと広い部屋にベッドが置いてあるだけの場所でした。

そして毛がない・・・。

 

それから2日半ほどは看護師さんがほぼ付きっきりので私は時折目を覚ますもののほぼ寝たきりでした。床ずれででお尻がめちゃくちゃ痛かったです。

 

そして一般病棟に移りますが意識がはっきりするに連れてお腹がめちゃくちゃ痛い。そりゃそうです。切ってるんですから・・・。

 

更に高熱が40度前後出て2日ほどはほぼ記憶がありませんでした。

 

4日目くらいにやっと普通に近づき久しぶりのご飯。しかしとんでもなくまずいお粥でほぼ食べれず。

 

この時の入院で院内禁煙、元気が出てきたのが出歩きにくい土曜日(病院が閉まっているので)だったことで禁煙に成功しました。今は吸ってしまっているのですが8年ほど禁煙していました。

 

喫煙者の方は共感して頂けると思うのですが、意識がはっきりしてまず思ったのは「たばこが吸いたい」でした。お腹は痛いし点滴はされているしでしたがドリフのコントのような姿勢で点滴のポールをガラガラ引きながら病院を彷徨うと土曜日で休みのため入口が封鎖されています。遠回りして裏口から外に出ようとすると警備員さんにディフェンスされてしまいました。元気だったら揉めてでも外に出ようとしたかもしれませんがその時は瀕死だったので争う気になれず大人しく病室へ。

 

そしていつか辞めたいと思っていたので「今しかない!」と思い禁煙したのです。

 

それなりに大事だったようで10日ほど入院しましたが5日目くらいからはお腹を痛みを痛み止めで抑えさせすれば殆ど普通でした。

 

昼間は電話会議をしてその他の時間はドラゴンクエストモンスターズをやっていたと思います。暇過ぎて。

 

手術と入院とはちょっとずれますが3つだけ追加で書かせて頂きます。

1つはめちゃくちゃ冷たくなった看護師さんです。

広い部屋に一人で居た時から親切に世話をしてくれた看護師さんがいました。当時で私より少し下の20代後半くらいの女性です。とにかく頻繁に来てくれて色々と世話になったのですが私の意識がはっきりした4日目くらいに彼女がお見舞いにきたのです。

そして以降はめちゃくちゃ塩対応・・・。それまではフレンドリーだったのに急に敬語、そして来る回数も激減。というか6日目くらいから1度も来ず。

まぁいいですけどね・・・。

 

ちなみに求めてないですが女帝も来やがりました。なぜか椅子ではなくベッドに座り帰ろうとしなかったので体調が悪くなったふりをして帰ってもらいました。

 

2つ目はとある看護師さん同士の会話です。

私は夜眠れずに起きていることが多かったのですが電気は消えているしベッド周りのカーテンは閉まっているので起きているか寝ているかは看護師さんから分かりません。

その時は2人で夜の見回りをしていたのですが私がいる病室に入って来てから話声が聴こえました。たぶん後輩の方の看護師さんが「この患者さんって~」まで言ったところでもう1人が「しっ」と口止めをしたのです。この患者さんは2人の位置から私ことです。そして足早に病室を出ていきました。後輩さんは思ったことをそのまま言おうとしたんでしょうが先輩さんが起きている可能性を危惧して止めたのだと思います。あれは何だったのか?気になります。

 

3つ目は看護師さんの独り言です。

私がいた病室は私を除いて高齢でかつ重ための症状のようでした。カーテンし仕切られていたので詳細は分かりませんが声や会話からそうだったと思います。

そして定期的だったりナースコールの呼び出しだったりで看護師さんが来て身の回りの世話や吸引などの処置をするのですがある夜中に看護師さんが言った言葉が耳にこびりついています。

その日も私は起きて携帯で読書をしていたのですが、夜の定期処置で看護師さん来た時です。恐らく20代後半から30代前半くらいの美人さんでした。

頻繁に世話をしないとまずいらしいお爺さんの処置をしていたのですが、そのお爺さんは入院も長い感じでストレスなど諸々から看護師さんの言う事を余り聴かない風でした。毎回どの看護師さんも苦戦したのです。

その時はお爺さんが「下手くそ」みたいなことを言い看護師さんが「あん!?」みたいにキレれていました。そして「私の事?私に言ってんの?」と詰め寄っていました。

しかし仕事は仕事、看護師さんはイライラしながらも処置を終えたようで病室を出ていったのですが、私のベッドを通る際に「はやく○ねよ」と言って去って行ったのです。

これに私は「こわぁ~」となりました。

どちらの気持ちも分かります。

病気やケガは不安で入院生活は本当に辛いです。私のようにあと数日で退院ができる状態と分かっていても辛いです。それが高齢で長期入院、身の回りの些細なこともお孫さんみたいな年齢の看護師さんにやってもらわないといけない状況はめちゃくちゃストレスだと思います。

一方、患者さんを心配してきつかったり、汚かったりな仕事を日々している看護師さんも毎回抵抗されたり、文句を言われたらたまったもんではありませんね。分かります。

 

とは言いつつ「看護師さんは怒らせないようにしよう」と思った出来事でした。

 

ちなみに全くの偶然ですが紹介状を書いてもらって訪れたこの病院、そして執刀をしてくださった先生は私の父の古くからの友人の教え子さんでした。どこで何が繋がっているか分かりませんね。

 

 

■2回目の手術と入院
この時は手術がメインで入院といっても前泊しただけです。

背中に何かがいるような違和感があり最初は気にしてなかったのですが、段々と盛り上がったきたのです。腹膜炎でお世話になった先生のところに行って相談したのがキッカケです。

 

診察の結果「脂肪種」でした。そして自然になくなることはないので早めに取った方が良いと言われました。大きくなると大がかかりになるため。

汚い背中で申し訳ないですが赤丸のところが手術痕です。だいぶ目立たなくなりました。手術の当日には会社に行ったのですが1か月は体液を放出するために背中からストローをだしてビニール袋を被せている状態で過ごしました。

 

摘出した脂肪種は大人のこぶしほどの大きさでしたが病理検査の結果は正常でした。

 

この時は局部麻酔だったのですが手術開始時に先生が言った「痛かったら言ってね~」は耳に残っています。「いや痛いかもしれないのかよ?」と思いましたが「はい~」と手術台で返事をしていざオペスタート。

 

最初はどうもなかったですが、途中で「いたっ」となり麻酔を追加。

 

私はたまたまた良い病院と良い先生に出会えましたが病院は怖いです・・・。

 

 

■3回目の入院
これはコロナによる入院です。辛かった。暇すぎて・・・。

私は職業柄&出不精な性格で自粛期間中はめちゃくちゃ気を付けていたのですが超トバッチリの巻き込み事故で感染してしまいました。そして巻き込まれた数名の内で重症化したのは私だけ。私が何をしたというのか・・・。

しかも一気に重傷者や死亡者が増えた2021年の夏ころです。

出典:NHK防災ニュース 第1波~第7波「感染者数グラフ」

 

新たな感染者数や死亡者数が連日報道されていたと思います。

出典:NHK防災ニュース 第1波~第7波「感染者数グラフ」

 

巻き込み事故から2日ほどは普通でした。しかし日曜日の夕方に体調が悪くなり夜には39度近い高熱が出てしまいました。私は「あっ、やばい」と思いました。

 

そして月曜日に検査を受けようと病院を探しますが熱があるというとどこも受け入れてくれません。やっと見つかった病院は大都市の大きな病院でした。

病院につくと一目でただごとではないと感じる物々しさ。病院の方は全員が防護服のようなものを着ており、特設会場(平時は講堂と思われる)があり、診察室は広い部屋にテントがいくつもあるような作りになっていました。

 

そしてソーシャルディスタンスを徹底しながら検査を終えて帰宅。病院に行ったのが午前中で検査結果は本日中と言われました。

 

19時頃に着信がありますが最初は電波が悪くこちらは聴こえているのですが向こうは聴こえていないようでした。そして「ちっなんだよ、コロナマン出ねぇよ」←実話です。

と言われ暴言でコロナに罹っていることを知りました。

そして声が届くと「あっもしもし~○○さんでしょうか~」と白々しいトーク

「そうです!私がコロナマンです!」と言いかけましたがコロナになったショックでそんな元気はなく控えました。

 

ここからは地獄でした。

 

みるみる熱が上がり40度から42度くらいを行ったり来たりして40度以下に下がらないのです。解熱剤を飲んでいるのに。

 

そしてふとした時に気づきました。「あれ?匂いがしない」と。

 

コロナに罹っているという病院の電話の翌日の朝、役所から電話がありました。

・本日から毎朝電話をするので体温を教えてください

・訪問の先生を派遣をするので何かあれば言ってください

・指にはめて心拍数を測る装置を送るので使ってください

とのことでした。

 

病室が空いていないので自宅待機となったのですが2日目くらいに訪問の先生がきました。そしてマンションのドアのすぐ外でゴミ袋を全身に被っていき防護服スタイルに変身します。

 

そして部屋に入って来るのですが「きついですか?熱はありますよね?」と当たり前すぎる質問を高熱で意識が朦朧としている私に問いかけて「それっぽい薬をいくつか置いていきますね」と言って去って行きました。

 

この自宅待機期間中は真夏の8月にも関わらず、ずっと暖房をつけていました。高熱で寒かったのです。2021年の夏はいつの間にか終わっていました。

 

とてつもなく息苦しくトイレに行くのも10分以上かけてスローで歩きました。

普段は浴室乾燥をつけた状態で洗面所に行くのですがこの時は乾燥をつけたままだと呼吸が出来ず死にかけたほどです。

 

そして毎朝続く役所さんの生存確認&体温確認の電話。生活リズムが崩れまくっており朝方に寝ていましたが寝ついたころに電話がかかってきて体温をきかれ10秒くらいで終話という日々が続きました。

 

それから10日目(忘れもしない8月23日)の朝に全く熱が下がらない私に「○○さん、熱が下がらないので入院してください、役所の車で向かいにいきます」と言われます。

 

私は少しの着替えと携帯とPC、充電器をバッグにつめて外へ。

病院は運よくいつもの大学病院でした。

 

駐車場につくると看護師さんが出てきて心拍数を測りますがかなりまずかったらしく大声で先生を呼びます。ちなみに当時はドシャ降りで私は高熱にも関わらず濡れまくり。

 

そして入院となりました。

入院直後に寝転がった姿勢でとった写真です。

ちなみにこのあとすぐに電話会議をしました・・・。トラブルで・・・。

 

病院の匂いは苦手でしたがコロナで鼻が効かなくなっていたのは不幸中の幸いでした。

 

知っている病院に運ばれて幸運でしたが過去に来た時とは様子が全く違いました。私を含むコロナ患者がいる病棟は完全に隔離され、歩ている先生や看護師さんはゴミ袋で全身を覆い防護服スタイルだったのです。

検査の時もでしたが私は名画「アウトブレイク」を思い出しました。

コロナの体調不良と周囲の物々しさからこの世の終わりみたいな雰囲気を感じたのです。

 

入院初日のごはんは丼ものだったと思いますが殆ど食べれず。

自宅待機の10日間はウィダーインゼリーを半分飲んだだけでしたがお腹は空いていませんでした。

 

入院して点滴と受けるとすぐ楽になり熱は下がりました。久しぶりの39度台です。

そして電話会議などをすることが多いのでと個室への移動をお願いし翌朝に移りました。

広い部屋にベッドが1つ、呼吸器があるのでベッドからは出れませんでした。

 

 

壁に備え付けられた空気がでる装置。スイッチをひねると酸素が出ます。入院中は食事中以外は常にこれを装着していました。

 

熱が下がり早々に体調が回復したのは良かったのですが3つ問題がありました。

①出歩けない上に食事が規則正しすぎて常にお腹が空くこと

②ベッドから出れずに猛烈に暇なこと

③自宅待機期間も含めて2週間以上お風呂に入れなかったこと

 

きつかったです。

 

①出歩けない上に食事が規則正しすぎて常にお腹が空くこと

朝ごはんは7時、昼ご飯まだお腹が空いていない12時、夜ご飯は17時と激早でした。

17時の夜ご飯を食べたあと翌朝の7時まで何も食べれません。そして動いていないので眠れないのです・・・。

とはいえご飯は入院食のイメージを覆す美味しさでした。こんな食事なら健康でいられるんだろうなと思いました。

ある日の夕飯①

 

ある日の夕飯②

 

ある日の夕飯③

 

ある日の夕飯④

 

ある日の夕飯⑤

 

ある日の夕飯⑥

 

ある日の夕飯⑦

 

ある日の夕飯⑧

 

②ベッドから出れずに猛烈に暇なこと

2つ目は暇なことでした。コロナで閉鎖されているので誰かにお願いして何かを持ってきてもらうというのもし辛かったのです。

私は大食いのYouTubeチャンネルをみて退院したらあれ食べようこれ食べようと想像していました。

 

 

③自宅待機期間も含めて2週間以上お風呂に入れなかったこと

体調が悪い時は気にならなかったのですが回復してくると急激に気になりました。

真夏にずっとお風呂に入れなかったのです。

髭もそれないので顔面中がボーボー、紙は洗ってないので脂ぎっており針がねみたいになっていました。

女性看護師さんが身体を拭きますと何度か言ってくれたのですが恥ずかし過ぎて拒否し手が届く範囲を自分で吹いているだけでした。

 

カピカピで硬くなった髪、濡れているように見えるので何度か看護師さんから「あれ?お風呂入りました?」と言われました。

 

顔中が髭だらけ・・・。コロナ発覚からおよそ2週間が過ぎたころです。

 

自宅待機が10日間、入院が10日間で21日目に自由の身となりました。

入院の後半はとにかく外に出たくてたびたび窓から外を覗いていました。入院7日目あたりからベッドを出ても良いと言われお風呂も入れたのです。

 

そして念願の退院です。

 

私は自宅へは帰らずそのままマックにいってダブルチーズバーガーセットを食べて、そのままステーキ屋にいってカットステーキを500g食べました。

 

ここでも看護師さんにまつわることを1つだけ。

コロナで入院中は呼吸器や心音を測る装置、点滴の確認で定期的に看護師さんが来ていたのですが、その内の1人の女性が困った感じでした。恐らく20代前半で働いて間もない感じでした。点滴を刺すのにめちゃくちゃ間違えてやり直すのです。私の上ではズタボロ・・・。しょうがないし看護師さんを怒らせると怖いので黙って耐えていましたが何度も何度もやり直して、ついには先輩と交代・・・。早く交代してよと。

 

そしてある日の昼間に電話会議をしていたら注意をされました。

これは先生と他のベテラン看護師さんに個室であることと私の職業を知っていることかから了承をもらってやっていたことです。

 

連携ができていなかったのでしょう。

 

「了承は頂いていますよ」と言っても「困ります、ダメです」の一点張り。

余りにも引かないので点滴の件もあってイラつき「だから許可はもらってるって!確認してくださいよ!」と少し声を荒げて言うとナースコールを連打。

 

「何をしてるんですか?」と言うと「患者さんが暴れた時は押すように言われてます」

 

「は!?」と絶句しました。ある意味暴れているのはあなたですよ?と。

 

そして駆けつけてきた男性看護師がめちゃくちゃヤバかったです。

私と同年代か少し下くらいの男性でしたが典型的なやばいやつ。

 

若くて可愛い新人看護師さんを庇うことでワンチャンあると思っていたのか、まぁ高圧的に私に説教をしてきました。弱っている患者に厳しく接することで強い所を見せることができると思っているコバンザメ思考の持ち主でした。

 

「あのね、看護師だって必死なんですよ!患者さん1人のわがままでね失われる命もあるんです!」と名言を挟みつつ激昂。

 

私は吹きそうになりつつ「いやそういうことじゃなくて許可をもらってるって話なんですよ。そもそも私は看護師さん達が言う事に逆らったことないですよ?」

 

「昨日まではそうでも今は反抗的です!」とほざきあとは名言を吐きまくるの繰り返し。

 

そして女性看護師さんには「ここは俺に任せて、○○ちゃんは危険だから外へ」とイケメン台詞・・・。

 

危険ってなんだよ!?と思いましたが、以前の入院で看護師さんとは揉めないようにしいようと思っていたので我慢しました。

 

その後は頻繁に来るようになり、ベッドがずれています、マスクの付け方はこうです、ご飯を残すのは作ってくれた人に失礼ですよ!等と細かい注意で嫌がらせをしてくる始末・・・。ストレスでした。

 

そして別のベテラン看護師さんに「あの、クレームとかじゃなくてちょっとお伺いしたいんですが・・・テッカテッカのオールバックにしている男性看護師さんって変わってますか?」と聴きました。

 

すると「ごめんなさい~、何かしました?あいつ」と。

コミュニケーション能力が皆無でよく患者さんと揉めているとのことでした。

 

こちらが我儘を言ったり看護師さんを困らせたら分かりますが、この時のことは疲れました・・・。

 

退院の3日前に院内の閉鎖病棟内を1周するということがありました。退院した時に久しぶり過ぎて歩けないからです。私は「そんなことはないですよ」と言いましたが、看護師さんに両脇を抱えらえれ久しぶりに病室の外へ出ました。

そしてよろける、よろける。人間はこんなので歩けなくなるんですね・・・。

 

看護師さんの言う事は素直にききましょう!

 

 

■おわりに

注射や採血すら苦手な私が直近10年はよく病院にお世話になりました。

入院って本当に心細くて不安ですし、自由が制限されるのでストレスを感じます。

 

コロナで入院した時の看護師さん2人はちょっとイレギュラーでしたが、その他は良い環境で恵まれていました。自分がコロナになる可能性をあるのに毎日24時間患者の面倒をみる看護師さんは凄いですね。尊敬します<(_ _)>

 

出来るだけ病院の世話にはなりたくないので健康が一番とは思いつつダメな生活を送っている私。

 

そろそろ運動もしないとなと思うこの頃です。