未だに何だったのか?がハッキリ分からない事が3つあります。
細かいものを入れればもっと多いでしょうが時折思い出しては「あれ?何だったんだろう?」と思うのは3つです。
・2つは小学校3年〜4年の時の事
・1つは1人暮らしを始めて数年経った20代後半の時の事
その3つをご紹介させてください。
■未だに謎な3つの出来事
①頂上付近に着いてから逆回転した観覧車
1つ目は観覧車の話です。
当時、住んでいた地域にあったテーマパークが閉鎖となり観覧車は別の場所に移設となりました。夏休みに友達家族とそのテーマパークに行き懐かしの観覧車に乗った時のことです。
頂上付近に着いたところでなかなか進まなくなり「おかしいな」と友達と言っていると元の方向に戻り始めたのです。
「故障か?」と思い友達と2人で焦りましたが特に何もなく緩やかに地上へ。
そして係のお姉さんに「なんで途中から戻ったんですか?」と聴いたのですが「なんの事ですか?」と言われてしまいました。戻ってないし、普通に進んだしと。
私と友達はわけが分からず「戻ったよな?何で知らないフリをするんだろ?故障とかって思われたらマズイからかな?」などと考えました。
そして少し離れた所に観覧車から降りていった親子(子供は幼稚園くらい?)が居たので近づき「今の観覧車って途中で逆方向に進みましたよね?」と聴いたのです。
すると「普通だったよ?どうしたの?」と不思議そうに言われてしまいました。
夢ではないし、確実に友達と私は体験したのですが未だに何だったのか分かりません。
②完璧なブーメラン
2つ目はブーメランの話です。
きっかけは覚えていませんがブーメラン作りにハマっていた時期がありました。作ったブーメランを小学校の校庭で投げて友達と遊んでいたのです。
材料は父や母の靴の空箱の分厚い厚紙、高めの煎餅などが入った厚紙を計測もせずにブーメランの形にハサミで切り抜きセロハンテープでグルグルにまいてブーメランっぽくしただけの物です。全部で5つくらいは作ったと思いますがその中の2つが未だに信じられないブーメランでした。
1つは目の前に真っ直ぐ投げると10メートルくらい飛んだ後に10メートルから30メートル上昇し投げた軌道を巻き戻って手元に戻って来るモノ。この1つ目は「世界一ブーメラン」と名付けマッキーでブーメランに書いていました。
2つ目は投げると小学校の運動場の一周に近い楕円形の形に飛び投げた位置付近に戻って来るモノ。こちらのブーメランは「日本一ブーメラン」と名付け同じくマッキーで書いていました。
まぁ小学校3年生くらいのことですからね…軽く黒歴史かもですが…
その恥ずかしいネーミングとは裏腹にブーメラン自体はとんでもない性能でした。
一緒に遊んでいた友達と私は大興奮でしたが、同じく校庭でブーメランをしていた何人かの大人も「僕達そのブーメランはどこで買ったの?」と聴いてくるほどでした。そして作り方を聴かれたり、見せて欲しいと言われたり。
逆に大人の方が持っていたブーメランを触らせてもらった事がありますが材質は木であるモノがほとんどで綺麗かつ計算された作りだったように記憶しています。
今みたいに全国民スマホ時代であれば動画を残していたのに!と思います。
小学4年時の転校に伴う引越しのゴタゴタとクラスメイトと別れる哀しみに暮れている内に何処かに言ってしまいましたが今ならTikTokやYouTubeで大バズリしていたと思います。
なぜ子供が作った雑な紙のブーメランがあの様な性能になったのか?
中学生の時に再現しようとしましたが飛びはするものの戻ってすら来ませんでした。
③見知らぬ訪問者
3つ目は自宅への訪問者の話です。
恐らく2006年から2009年の間ですが私は当時マンションの10階に住んでいました。
シフト制で出勤時間は朝だったり昼だったりしたのですが出勤前はバタバタしているので呼び鈴が鳴っても毎回無視していたのです。
そんなある日の事、シャワーを浴びてTシャツとパンツという姿で「そろそろスーツに着替えて行くか」と思っていたら玄関のドアがゆっくり開くのでした。
間取りは1K、その時は部屋と玄関を仕切るドアを開けていたので玄関のドアを開けたら部屋が丸見えです。
ゆっくり開く玄関のドアに気づきギョっとしながら見ているとカジュアルな服装の女性が立っていました。
年齢は当時で20代後半から30代前半くらいだと思います。普通の見た目の女性です。
Tシャツと下はパンイチという出で立ちの私と目がバッチリ合い、数秒止まった後にドアを閉めました。
私は呆然としつつも「空き巣か?!」と思い立ちそのままの格好で外に。
エレベーターは1階に止まっておりタイミングから乗った形跡はなし、非常階段、上下階の11階と9階にもいませんでした。
同じマンションの住人の空き巣ですかね?
■祖母が話してくれた不思議なこと
これは私の体験ではなく祖母の体験です。
私は産まれてからしばらく、また幼少期のいくつの時期を母方の祖父母の家で過ごしていました。昔の日本らしい考え方で厳しかった父方の祖父母より母方の方に懐いており小学校時代は田舎に行くのが楽しみでした。
大正産まれの祖父は車の免許を持っておらずどこに行くにも自転車で今ならプレミアがついて高値で売れそうな銀色の古い自転車に何十年も乗っていました。私の母を含む三姉妹と祖母のために電車で片道30分以上かかる道程を毎日自転車で通勤していたのです。
そして帰宅時は縁側の方に自転車を停めるのですが、その際に「チリンチリン」とベルを鳴らすのが日課でした。
鳴らして自転車を停めた祖父は縁側から部屋に入り、祖母が迎え入れてお茶をだす。このような生活だったそうです。
私が小学校2年生くらいから祖父は辛いもの好きが災いして心臓を患い入院生活となりました。そして小学校3年生の授業中に先生に呼ばれて職員室に行くと涙目の母がいました。
今朝早く祖父が亡くなったというのです。
特急電車で1時間半かかる祖父母宅へ急いで向い初めての通夜、お葬式。めちゃくちゃ可愛がってくれた祖父の棺に菊の花を敷き詰める時に棺が怖くて投げ入れるようにしてしまったことを40歳を過ぎても悔いています。
初七日が終わり一段落ついた所で祖母を含めた数人の親族で夜に話をしていた時のこと。
祖母は祖父が亡くなった日の事を話し始めました。
亡くなったのは早朝だったらしいのですが「チリンチリン」とベルの音が聴こえて目を覚まし「何事か?」と思っていると再び「チリンチリン」とベルの音が。
祖父は帰宅時にベルを鳴らすのが日課でしたが何か言いたい事がある時や悩んでいる時などは「チリンチリン」、「チリンチリン」と2回鳴らしていたそうです。
祖母は急いで縁側に向かい、窓を開けて外を覗くとしっかりした形式のスタンドである祖父の自転車が珍しく倒れていたとのこと。
「あれ?おかしいな。台風でも倒れたことないのに」と不思議に思っていたら自宅の黒電話が「リーーーン」と鳴り響き、出ると病院からだったと言うのです。祖父はずっと家に帰りたいと言っていたらしく最後に帰ってきてくれたと祖母は言っていました。
都合の良い話かもしれませんが祖母を知る母や私からすると絶対に作り話をするタイプではないので真実だと思っています。ベルが鳴ったのは自転車が倒れた際に出た音かもしれませんが、そもそも倒れたこと自体が不思議ですし。
その話をしてくれた祖母も2018年に亡くなってしまいました。
めちゃくちゃ優しくめちゃくちゃしっかりした祖母も85歳を超えた頃から母すら分からなくなり施設に入っていました。
私は何度も会いに行くと母に伝えましたが止めるように言われ結局会えませんでした。
強く優しかった母(私から見ると祖母)がわけが分からなくなっている様子を私に見せたくなかったのでしょう。
■おわりに
訪問者は空き巣の可能性が高そうですが観覧車とブーメランは未だに謎です。
今年の始めに同窓会があり観覧車に一緒に乗った友達とブーメランで一緒に遊んでいた友達と久しぶりに会いました。
そしてそれぞれ確認しましたが、やはり実際に合ったことでした。
もしかしたら変なテンションになって記憶がおかしくなっているのかな?とも思っていたのですが友達も同じように記憶していました。
40歳を過ぎても未だに思い出す「謎」です。