辞めて欲しいアルバイトNo1だった私がいてくれないと困ると言われるようになったきっかけとアルバイト歴についてお話させて頂きます。
人生初のアルバイトは人生経験を積めという父親の指示で地元の新聞配達でした。
春休みから始めたのですが学校が始まると無断で行かなくなり、社長が探しに来ても逆ギレしてそのままクビという結末に…。
2つ目のアルバイトは期間限定の季節モノの店頭販売で友達と2人で働いていましたが品物は間違うしお釣りは間違うし勝手に閉めて休憩しまくるしでめちゃくちゃ。これはクビにはなりませんでしたが我ながら酷かったです。
3つ目のアルバイトはスーパーのレジでした。
この時に夕方の主婦の皆様の怖さを知りました。とにかくみんなカリカリしていてせっかちで圧が凄かったのです。しかもスーパーは品は多いし特売とかタイムセールでコロコロ値段が変わります。今のようにバーコードではありません。間違えまくって金額が合わず私のせいで先輩アルバイトやパートの奥様達が夜遅くまでお金の計算をしていたと文句を言われてしまいました…。たいして教えてもらってもないのに理不尽だなとは思いましたがいくら合わなかったのか聴くと数百円とのこと。私の前日までのアルバイト代は2万円くらいだったので給料いらないので辞めさせてくださいと言いました。当時30歳くらいの店長さんに無責任過ぎると激詰めされましたがそのまま辞めました。そういう問題じゃないのは重々承知していますが給料は受け取っていません。パートのやり手風のお姉様(おばさん)が私の去り際に声をかけてきて「もらえるもんはもらっとけばいいのに、勿体ないよ~」と言ってくれたのが未だに耳に残っています。この時の経験からスーパーで買い物をするといつもレジの人たちに羨望の眼差しを向けてしまいます。
4つ目は居酒屋です。
大将(オーナー)と店長がゴリゴリの元ヤンで怖かったですが話が面白かったので続けられたと思います。ここは2年〜3年続けました。ほぼ1人でホールと厨房をやることもあり頼りにされるのが嬉しくて頑張っていました。アルバイトの中では私の時給が一番高ったです。高校が遠方になっても通い続けましたが大学で更に遠くなり辞めることにしました。
しかし理由は他にも2つありました。
・オーナーが副業で失敗して金回りが悪くなったからか、ある時から知らない間に時給が下がっていたのです。言ってくれたら良かったのにとショックを受けました。
・オーナーと店の超常連でオーナーの古くからの友達が嫌がっている地元のガラが悪い有力者が店に来た時にオーナー達の命令で居留守の手伝いをしたのですがブチギレた有力者に私がボコボコにされました。しかもフォローもなく庇われることもなく放置されたのです。4つ歳上で頼りになる兄貴的存在だった店長は辞めた後で誰も助けてくれませんでした。これは相当に心が傷つきました。その有力者は地元で色々な事業を手掛けていた奴で当時で50歳~くらいのスキンヘッドでしたが、まぁボコられました。
辞めてしばらくしてから色々あったけど恩返しとばかりに彼女を連れて食べに行ったのですがオーナーの彼女が陰で私について「よく来れたね、辞めといて」と言っていたのを聴き逃しませんでした。辞める3か月前にはオーナーに伝えたし、時給が無断で下がったこともオッサンにボコられたことにも一切文句を言っていないのにこの仕打ち(発言)でその場は聴こえていないふりでやり過ごしましたが以降は2度と行きませんでした。その後1、2年経って偶然後輩のアルバイトと商業施設の駐車場で会った時にオーナーが夜逃げして給料未払いで店は無くなったと聴きました。
5つ目はテレアポです。
服装自由&屋内のエアコンが効いた中での仕事は天国でした。居酒屋のバイトは火を使うので夏は暑く冬は冷凍庫と冷蔵庫の冷気で寒い上に田舎で時給も寒いという状況でしたが、このテレアポは時給が高い上にインセンティブもあり居酒屋時代の半分くらいの時間で3倍ほどの給料でした。
しかし会社の上場に伴う本社移転で3か月ほどで解雇となりました。なおこの際に初めてポンコツな社員を知りました。それまではオフィスでスーツを着ている人の働きぶりを見た事がなかったのです。その人は当時で20代中頃の男性でしたが上には徹底的にヘコヘコして我々アルバイトには偉そうだったのです。
また責任者が栄転でいなくなり代わりの責任者が来たのですが事業所内では経験がある「俺の方が偉い」感を出してめちゃくちゃカッコ悪かったです。
また事業好調による本社移転で我々の支社が閉鎖になる時には代わりに来た責任者の男性も酷かったですね。当時で30歳くらいの男性でしたが、突然契約終了を告げられた我々を気遣う素振りは全く無く責任者として着任させながら数か月で支社を閉鎖するという判断をした経営にブチギレておりめちゃくちゃ態度が悪かったです。お礼もお詫びもなくずっとムスーとしていてドアを蹴ったり怒鳴ったりしていました。最低の責任者でしたね。
■仕事を頑張るようになったキッカケ
6つ目は現在の私に繋がるアルバイトで仕事を頑張るようになったキッカケとなる出来事があった時です。居酒屋のアルバイトから働くことの楽しさも覚えたのですが大学生には誘惑が多く怖い先輩もいなかったのでフザけまくった勤務態度でした。
遅刻、欠勤は当たり前で希望勤務シフトの半分以上はズル休み、服装や態度も悪く女性の事務さんとはシフトや勤怠で揉めまくりで逆ギレという有り様。
ある日の欠勤連絡では周囲が超ザワついている中で馬鹿みたいに嘘の咳をしながら「す、すびばせん…、ゴホゴホ、風邪ひいて休んでいいすか?」すると「い~よ~♪ついでに今週いっぱい休んどく?」、テンション上がって演技を忘れて普通の声で「いいんすか?あざーーーす!」等というやりとりも……。1000%バレバレでした。出勤しても問題ばかり起こすアルバイトだったので出来るだけ休ませたかったのでしょう。
お客様とは喧嘩をするしフォローしにきた上司には逆ギレするしで最悪でした。なぜクビにしなかったんだろうと未だに不思議です…。ちなみにこの時にご迷惑をかけた女性先輩アルバイト1人(1つか2つ年上)、男性の先輩アルバイト2人(1人は1つか2つ年上で1人は1つ年下)、男性の社員2人にはもし会うことがあったら土下座して当時のことをお詫びしたいと思っています。心の底から当時の事を反省しています。もう本当に。先輩アルバイトの御三方は今現在の私より大人でした。今頃何をされているのか?きっとどこかで活躍されているのだと思います。
ただ確実に辞めて欲しい、すぐ辞めるでしょ?とは思われていました。
そんなダメアルバイトの日本代表みたいな私でしたが入社から6か月〜1年くらいの時に事件が起こります
彼女に二股をされた上に相手方に行かれてしまうという地獄なフラれ方をしたのです。
しかも2回目…。
高校2年生の終わり頃にも同じようなことがありその時は死にかけまして…。
しかしこの時は高校時代に言われた父親の「世の中に女の子なんて沢山いるのにいちいち凹んでどうすんだよ?だいたい二股しといて向こうに行く女なんて別れた方が良かったじゃねぇか。とにかく女性問題でヘタレるのはカッコ悪い」と呟くように言われたことを思い出しました。(面と向かってもろに言うと喧嘩になるので呟くように言われたのです)
そして何かに打ち込んで忘れたいと思った私は必死にアルバイトを頑張りました。朝から夜まで毎日。当時は労基もゆるく残業もし放題でした。
相当カッコ悪い話だと思いますが私が仕事を頑張るようになったキッカケは彼女にフラれたからでした。
それまでは最優先が彼女でしたが仕事が最優先になりました。2度の二股&フラレるという経験で【彼女>家族>友達>その他趣味など>仕事】という優先順位だったのが【仕事>家族>彼女>友達>その他趣味など】になったのでした。
相変わらず女性事務員さん達には疎まれており「どうせ今だけ」等と陰口を叩かれていましたが悪いのは自分なのでいつか見直してくれると思い頑張っていました。
そんな私の頑張りを見てくれていた人がいたのです。仕事は何も教わっていませんがこの人に見出されてなければ今の私はありません。
当時で20代中盤くらいの男性社員です。
「君、頑張ってるね。俺の手伝いをしてくれない?」
当時大きな動きが世の中にも会社にも起きていて、その社員さんは1つのプロジェクトのリーダーとなっていたのです。しかし他のプロジェクトリーダーは人望も実績もある人ばかりで男性社員さんには誰も手伝ってくれる人がいませんでした。1人では休みもとれないので新規で手伝ってくれそうな人を物色していて私が引っかかったのでした。私は認めてもらえたのが嬉しくて快諾して更に頑張りました。
そして期待に応えるために夜遅くまで先輩アルバイトや社員の人がやっている事や過去事例の履歴をネットワークで見つけてはプリントアウトして学びました。
そうしてプロジェクト成功の一端を担った私は支社の幹部の目にも止まり、とあるプロジェクトの新規立ち上げメンバーに選ばれました。このタイミングで私を見出してくれた男性社員も異動となったために私は立ち上げメンバーの話を受けて更に頑張ることになったのでした。
アルバイトを頑張りすぎて成人式も大学の卒業式も出ていません。とにかく会社が許す限り働きました。
立ち上げたプロジェクトが大成功して競合他社を圧倒し収益や戦略面の責任者となった頃、日本中を飛び回っていた外資系企業のクライアントと話す機会がありました。
その方は当時で40代前半の男性でスリーピースのスーツ、レザーのブリーフケース、リモワのスーツケースで携帯片手に英語を話しながらスーツケースを引く姿はめちゃくちゃカッコよく見えました。
上司に聴いた所では有名私大を出て海外にも留学して年収1000万くらいはもらっているとのことでした。当時の私はKPIの責任者として海外のクライアント本社からも度々表彰されながらもアルバイトであった為に年収は200万ほどです。頑張り始める前の勤怠が劣悪過ぎたことで評価が氷点下となっており昭和みたいな時給になっていました…。
忙しく働く男性社員さんの姿に強烈な憧れを覚えました。
お見送りの際にエレベーターの中で2人きりになった時に「私も○○さんみたいになりたいです」というと「ダメダメ、俺なんか目指したら。○○くんなら全然もっと上にいけるよ。そのくらいの事を若いのにやってるから」
そう言われましたが大学はFランクすら怪しい所でそもそもアルバイトばかりで勉強は全くしていなかったため「いやぁ〜、無理ですよ。私なんか…。でもそう言って頂いてありがとうございます!頑張ります!」と言った記憶があります。
本心だったのか他社の若者を気遣ったのか分かりませんが男性社員はエレベーターを降りると私の肩をポンポンと軽く叩き「○○くんには期待しているからこれからもよろしくね」と言って次の訪問先に向かわれました。
そんな私は男性社員さんから言われた言葉が冗談かお世辞だったのか今は知る術もありませんが30代前半の時に"恐らく"ですが待遇面では男性社員さんに言われた通りになったのでした。というのも男性社員さんが当時勤務されていた企業のライバル会社の部門長になっていたからです。そのずっと前に男性社員さんは退職されていましたが「ダメダメ、俺なんか目指したら。○○くんなら全然もっと上にいけるよ。そのくらいの事を若いのにやってるから」と言って頂いた言葉はずっと頭に残っており頑張りました。
■おわりに
何がキッカケになるか分かりませんね。二股をされてフラれたことがキッカケで頑張るようになり、見出して頂いたのもたまたまでした。
この事がなければどうなっていただろう?と時折考えます。まず確実に地元からは出ていないでしょう。勉強しなおして専門職を目指すか、祖父が教育関係で父も免許を持っていたので教員を目指すか、日雇いかアルバイトを続けているか。高確率で地元にずっといながらアルバイトを続けていたような気がしますね。
私を最初に見出してくれた男性社員は2024年現在で50歳くらいです。今はどこで何をされているのやらですがその後の思い出話が多すぎるので連絡がとれたら当時のお礼をさせて頂きつつ食事をしたいと思っています。
2度の災害時に都度携帯が壊れて連絡先が分からないのです…。
○よ○○○た様
あなたの結婚式の際に祝電が丸々読まれると知らずに見出して頂いた感謝を便箋5ページにくらいに渡って書いて送ったロン毛(当時)のわんぱくアルバイトです<(_ _)>
奇跡的にこの記事を読んで頂いたらコメントくださいませ。
何卒よろしくお願いいたします。