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『犬を飼う』ということ、20年経っても消えない後悔

 

中学1年生の13歳頃から10年間、実家で犬を飼っていました。

 

雑種でしたが見た目はソフトバンクのお父さん犬にそっくりな白い柴犬系です。

名前は「くま」でした。
白熊っぽいからと母親が名付けの親となったのです。

 

犬と猫は日本の代表的なペットですね。ペットというか家族です。

映画も多くあります。昔から有名なのは「忠犬ハチ公」、ちょっと新しいのだと「犬と私の10の約束」など。


www.youtube.com

この【犬と私の10の約束】は本当にその通りだと思います。

本映画は主題歌がBoAさんの「be with you」でコレもまた良い。

 

私と4つ離れた妹は犬を飼うことに憧れがありました。しかし両親は犬を飼ったことがあり、死んだ時の悲しさを知っているので認めなかったのです。

そんな実家で犬を飼うことになり一緒に過ごした10年間と後悔している話をさせてください。

 

 

※本記事では最下部のおわりにで広告リンクを貼っています。


■『犬を飼う』ということ
小学校6年生になりたてくらいの時にクラスの男子でよく遊んでいた子から犬をもらってくれないか?と言われました。飼っているメスの犬が野良犬の子供を身籠ったらしく赤ちゃんが産まれたとのことでした。

 

早速見に行くと3匹の子犬がいました。
2匹は血統証付きのような綺麗な茶色と白の模様の毛並みで耳が垂れており母親に似ていました。1匹だけ「キミはどこの子?」というくらい見た目が違っていました。真っ白で耳もピンと立ち垂れていませんでした。その子だけ野犬の父親に似たのでしょう。

 

私はヨーロッパとかにいそうな綺麗な茶色と白の子を選び「この子が欲しい」と言いました。そして家に帰って親に話そうとしますがビビって言えませんでした。

 

翌日、友達から「(私)くんが選んだ子犬を妹が気に入ってしまって白い子をもらってくれないか?」と言われました。まだ親の許可ももらってないし、それなら飼わないでもいいか?と思ったのですが犬が飼えるかもと思った私の妹のテンションが凄まじかったのを思い出し「分かった」と言いました。

 

そして友達の家に行きます。
白い子犬は母親にも疎まれている感じがしました。他の子と違い過ぎたのです。
友達の家族も差別しているような雰囲気すらありました。

 

それを見て可哀想に思った私は強行策に出ます。
白い子犬を家に連れて帰ったのです。
妹は大喜びでした。そして妹の部屋に子犬を隠しました。

 

しかし母親にすぐバレます。子犬は人間の赤ちゃんと同じようによく泣くのです。

ひたすら「きゅーん、きゅーん」と鳴いていました。私と妹はずっと一緒に付き添っていました。思えば産まれてすぐに他の2匹よりも母親に愛されずに他の家に捨てられたのです。子犬は何も悪くないのにひどい話です・・・。


私と妹は一生懸命に母を説得しました。母は父がいいと言えばいいとの事でした。

父が帰宅して私と妹は意を決してお願いします。
散歩はするしごはんも必ず自分達であげるから飼わせて欲しいと。

 

めちゃくちゃ怒られて友達の家に返して来いと言われてしまいました。

絶望しましたが言うことを聞くしかなく返しに行きました。

 

その日は大雨です。
父親は帰ってきてからすぐにお酒を飲んでおり母親は免許がないので私が傘をさして自転車で返しに行きました。子犬が濡れないように私は服を重ね着して懐に入れて顔だけ少し出るような感じで返しに行きました。

 

この時の雨と傘が怖かったのか以来「くま」は傘とシャワーを異様に怖がるようになってしまいました・・・

 

そして友達の家につき、一旦返すけど絶対に説得するから!と言いました。

私が友達の家に行っている間に泣きまくる妹と折れた母親が父親を説得してくれていました。散歩や食事などの世話をすることを改めて約束し飼うことが認められたのです。

 

その日はもう遅かったので翌日の放課後に迎えに行きました。

こうして「くま」が家族になったのです。

 

犬の子犬時代の可愛さは異常ですね。ずっと可愛いですが子犬時代はレベチ!!

ぬいぐるみみたいな見た目。仕草の1つ1つが異常に可愛い。
子犬時代はずっと見ていた気がします。何かと「コテン」とこけるし、フワフワしているし、一生懸命追いかけて来るし。

 

トイレも最初はプルプルしていたのに身体が大きくなると片足をあげる犬の仕草になっていって成長を感じました。

 

くまの世話をした割合は、
母=妹>>父>>>>>私です。


部活、遊び、車、アルバイトと私はみるみる面倒をみなくなりました。有言不実行のダメ人間です。中学校2年生になった頃には時折好きそうな食べ物を買ってきて与えたり、気が向いた時に散歩に連れ行く程度になっていました。

 

それまては頻繁に散歩に連れ出したり、砂浜でかけっこしたり、空き地でかくれんぼをしたりしていましたが私は徐々に面倒をみなくなりました。

 

父も母も犬が大好きでイザ飼い始めたらめちゃくちゃ世話をやいていて妹は最初からずっと約束通りやき続けていたのでダメ人間は私だけでした…。

 

そしてくまからみた家族のヒエラルキーは、
私>>>>>父>>>母=くま>妹でした。
母には甘えまくり、妹のことは舐めてるし守ってあげなきゃみたいなスタンスだったように思います。

 

ワンワン吠えて近くにいる母や妹が「こら、だめ、静かにして」といくら言っても無視、なんなら怒った表情で威嚇する始末、一方2階の自分の部屋から普通の大きさの声で「だまれ」と私が言うとピタっと静かになり、私が帰宅したり近くに行くと寝転がってお腹を見せて降参のポーズをしていました。

 

しかし前述の雨の日のトラウマからか身体をシャワーで洗われたり、水やお湯(ぬるくして)をかけられることを異様に嫌がりました。この時ばかりは私にも超反抗的で一切言うことをきかなかったのです。しかしたまには洗わないと家には入れられないので私と父が2人がかりで洗っていました。


父は空手三段でムキムキ、私も180cmありずっと運動部だったので2人して力は強い方だったと思いますが、とんでもない力で抵抗されまくって苦戦していた記憶があります。

 

これは私が親に言わないで家に連れてきて雨の中、友達の家に返しに行ったせいです。本当に申し訳ないことをしました。

 

子犬ではなくしっかりと大きくなってからは外で飼っていたのですがある時から寂しがり屋が爆発して玄関からリビングまでの廊下がくまのテリトリーになりました。基本は玄関の石畳のヒンヤリして気持ちいい所か玄関を上がってすぐの所に用意した専用の寝床にいました。

 

1度だけくまを連れて家族全員で遠出をしたことがあります。
父方の祖母が亡くなり実家から数百キロ離れた父の実家に行くことになったのですがくまを置いて行くわけには行かなかったからです。
私の運転で助手席に父、後部座席に母と妹、ワゴンだったので荷物を置くスペースにクリアケースと毛布を入れてくまの居場所を作りました。

 

しかし甘えん坊のくまは早々に母と妹が座る後部座席に移動します。ずっと「くぅーん、きゅーん」鳴いていたのですが信号で止まった隙に飛び越えて来て母と妹の間にスフィンクスのように居座ったのです。

それは運転席の私が後ろを振り向くとちょうど目が合う位置です。

 

座り方はめちゃくちゃスフィンクスでした。

高速で移動する車がストレスだったのでしょう。サービスエリアに行くたびに時間を取りますがお通じがありませんでした。

 

そしてくまは何度かやらかします。

 

オナラです。

出てないのでとんでもない匂いです。

 

匂いに気づいて私が後ろをて「お前〜」という顔をする度にくまは「僕じゃありませんよ」みたいな顔をして下を向いたり、申し訳なさそうな顔でションボリしたりしてました。

 

車での長距離移動でストレスをかけて申し訳なかったとは思いますが、この時の顔は未だに鮮明に覚えています。本当に人間みたいな反応や表情をするんですよね。

 

父の実家に着くとそれまでのしょんぼりが嘘のように元気になり、帰り道では慣れたようでした。


高校3年生から大学生時代にかけては1人暮らしではなかったものの友達の家に泊まることが増えて私は殆ど実家にいませんでした。

 

そして23歳の時にくまは病気で亡くなってしまいます。この日は前日から私も実家にいました。

 

夜通し母親の膝の上で「きゅーん、くぅーん」と泣き続け朝方に聴こえなくなったことに気づいて急いで階段を駆け下りると母と妹が泣いていました。くまは母の膝の上で亡くなっていました。

 

母と妹の落ち込みは激しく特に母は憔悴していました。私は小学5年生くらいまで母にベッタリの甘えん坊でしたが、くまも母に甘えていたように思います。飼い主に似たのかもしれません。


そして母はそんな「くま」を次男のように思っていたのだと思います。

 

私は母の膝の上で眠るくまの頭を撫でました。

 

亡くなる少し前から痩せて、毛が抜けて元気がなかったのです。病院にも連れて行きましたが心臓?の病気ということで手遅れと言われてしまいました。

 

今みたいにネットがあれば…
もっともっと早く病院に連れていけば…
もっと散歩に行けば良かった…
もっと好きなものを食べさせれば良かった…
もっと、もっと…と後悔ばかりです。

 

犬は飼い主が散歩に連れて行ったり、食べ物を与えないと食べられないのに…自分でやりたい事が出来ないのにと思い出しては後悔しています。

 

もちろんこれは私が満足にしてあげられなかったというだけで1日に2回〜3回の散歩とご飯は私以外の3人が365日毎日欠かさずやって可愛がっていました。

 

私の個人的な後悔とは別にもう一つ後悔があります。

 

写真が1枚もないのです。

 

両親が犬は写真を撮ると魂が抜けて寿命が縮まるというワケのわからない迷信を信じており1枚も撮っていなかったのです。

 

世にあふれる犬たちの写真や動画、こんな迷信が本当なわけないのに…

 

大人になった今なら「そんなワケあるか!世の中犬の写真いっぱいあるでしょ」と言って終わりですが買い始めた小学校6年生の時は「そうなんだ」と思いましたし、何よりやっと許してもらった犬を飼えるという事にテンションMAXで気にしていませんでした。

 

今ならスマホでくまの元気だった姿を撮りまくっていたのにと悔やんでいます。

 

まだ小さいくまを雨の中、友達の家に返しに行ったこと、鳴きまくりヨチヨチ歩きだった子犬時代、ワンパクでよく一緒に砂浜や空き地で走りまくったこと、家の中に入れるようになり台所に立つ母をお座りでずっと見つめてご飯をねだっていたこと。

自分の尻尾に怒ってひたすらグルグルしていたことや車の中でオナラをして申し訳なさそうにしていた顔。

 

全て覚えていますけどね。

 


■おわりに
私の実家の玄関入ってすぐ生前の「くま」が寝ていた場所には「くま」が付けていた首輪、使っていたリード、ご飯の器、大事に保護された少しの体毛が飾られており「くま」が好きだった食べ物などが今でも毎日お供えされています。写真がないので私以外の3人の誰かが描いた「くま」の似顔絵と一緒に。

 

そんな私の実家には「くま」とは似ても似つかない小型犬の家族が増えています。

久しぶに実家に帰った私が撫でようとしたらめちゃくちゃ吠えられて噛まれそうになりました。保護犬だったとのことで妹以外には警戒心が凄いそうです。父と母にはだいぶ慣れたようですが、とにかく妹にべったり。

 

いつかまた犬を飼いたいと思いますが、飼うなら「くま」みたいな日本犬の見た目の子が良いですね。

 

でも飼わないかな。

 

どうしても「くま」と比較してしまうし、思い出す頻度が増えすぎてションボリするので。歳をとってあの時の親の気持ちがめちゃくちゃ理解出来ました。

 

犬は長生きしても十数年の寿命、分かっていたけど早すぎました。

今ならめちゃくちゃ散歩するし以前の何倍も可愛がってめちゃくちゃ写真や動画を撮るのにと未だに思います。

 

亡くなった祖父や祖母にも会いたいですが、同じくらい「くま」にも会いたいと思っています。

 

今はデジタルでいつでもペットとの想い出にひたれるものがあるようですね。

最新技術で鳴き声も再現するそうです。楽天で下記を見つけたので貼っておきます。

「愛するペットとの絆をデジタルで永遠につなぐ」というのがコンセプトのようです。

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私のように後悔をして欲しくないので犬を飼うならまずは生きている内に徹底的に可愛がることをお勧めいたします<(_ _)>